有田焼創業400年・江戸期有田焼、伊万里までの運搬路を歩くⅡ(「下手路」)。
ちょうど10日ほど前になりますが、先月に続き、江戸期に有田から伊万里津までのやきものが運ばれた路、もう一つの有田川に沿った路を歩きました。先月の山内町宮野を通ったみち、黒髪山を迂回するみちに続いての歩きを行ったのでした。
山内町宮野を通るみちを、「上手路(かみてじ)」、有田川沿いのみち(有田街道)を、「下手路(しもてじ)」と呼ぶようですが、地元に住みながらまったく知らなくて恥ずかしい限りでした。
けれども、当時のみちを辿りながら焼物街道を歩く経験は、まさに有田焼創業400年の歴史に思いを持てる良い機会だったように思います。とは言いましても、歩いている心中は穏やかならず、まだ伊万里に着かないのか、まだか、まだか~と思いながらも、一方、当時の人は歩くだけじゃなく背にやきものを背負ってたんだよなァ~と思いながら、そのことを考えますと、昔人の労苦に思いを寄せたりもしていました。
出発まもなく九州陶磁文化館にも廻り道し、学芸員さんのお話をうかがったり、250年続く有田の老舗酒造会社のご店主さんから店内を拝見させて頂いたり、さらには、松浦党末裔の有田氏旧城である唐船城の頂上から初めて有田方面を眺めたりと、なかなか楽しい経験をさせて頂ました。そして、最後には各方面からの参加者が電車の乗車時刻に間に合うように、足の速度を速めたりゆるめたりするのはいつものこと、そして最後はほぼ九分九厘間に合うから不思議。さすが代表の馬場さんの時間調整力はお見事、先月同様、伊万里津の佐賀銀行横掲示のカラクリ時計を拝謁して幕が降りたのでした・・(笑)。



[左が佐世保線、右が松浦鉄道、その分岐近辺を歩く]

[唐船城展望台と、そこからの有田方面(上)と伊万里方面(下)の眺望]


[唐船城にある山田神社で咲き誇る花々]





[地名、“夫婦石”の由来となってる有田川の中の石。知らなかったなァ~、今まで。]

[先月と同じカラクリ時計です。]
(山)