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有田の時間

‘裏通り’ より、再び ‘表通り’へ

2012年12月06日

有田観光協会 at 15:08  | Comments(0)
 
 トンバイ塀通りにある「辻精磁社」のちょうど南の位置に、一軒の古民家があります。そこは『小路庵(シュウジアン)』と呼ばれ、有田出身の江副孫右衛門の生家だったと云われています。
TOTOという文字を未だ一度も見たことがないという人は、・・・おそらく少ないんじゃないでしょうか!?
 
 
 江副孫右衛門さんはこのTOTO、すなわち「東洋陶器」の社長や会長をかつて務められた人で、戦後公選での有田町長の第一号にもなられた人でした。

‘裏通り’ より、再び ‘表通り’へ

 
 特にこの人は叩き上げの技術端の人で、当初名古屋にあった会社「日本陶器」で苦労の末、日本初のディナーセットを完成させ、命名されたノリタケチャイナは、その名を大きく知らしめるのに成功したと云われています。その後も、高圧碍子、点火碍子、耐酸磁器の創製にも成功し、様々な権威ある賞を受けられました。有田での焼物家業での失意をはね返し、見事全国で花開かせたわけで、運命の面白さを感じてしまいます。なお、先の連合艦隊司令長官、古賀峰一元帥は、有田小学校の級友だったと云われています。


 現在この『小路庵』は町の管理のもと、早春の「雛(ひいな)の祭り」と「秋の陶磁器まつり」の期間中に、有志の方々によりおいしい郷土料理が提供されています。落ち着いた、居心地のいい空間だなァ~と、私は思っています。
 あヽ、そう云えば・・・、かつてこの建物の概観をご覧になったガイドでご案内したお客様が、建物の屋根の特徴が名古屋近辺の特徴を持っているとおっしゃっていましたが、具体的にどの辺りがそうなのかをその時に聞いておくべきだったな~ァと、時々後悔したりもしています。恥ずかしながらご存知の方があらば、ご教授頂けたらとは思いますが・・・(笑)。


 
 さて、これまで少しだけ‘表通り’から‘裏通り’に入って歩いて来ましたが、春の陶器市でも顕著なように、表通りには多くの人が集まって頂き、一般にもよく知られています。
 けれども、見て来ましたように、ほとんど目立たないんですが、裏通りにも有田の長い歴史がキチンと根付いているのが分かります。今回はほんの一部のご紹介でしたが、まだまだ続く裏通りにも、表では見れない落ち着いた有田の空間が残っています。
 この通りの北側には有田川が平行に流れていて、今ではなくなっていますが、かつては泉山の陶石を自然の水流を利用して砕いていた唐臼の跡も一部見ることが出来ます。往時はその唐臼の数、何と250ヶ所にもなったとも云われています。


     さて、さて、中途のココで一言。
 


  『有田への旅』 -ヒントその4- 
 

  有田をより深く感じるには、表通りはもちろん、より以上に ‘裏通り’ を感じることである。                    



‘裏通り’ より、再び ‘表通り’へ


           つぎに、‘表通り’に再び出て、『有田陶磁美術館』そして、『有田館』の方へ向かいたいと思います。
                                              
                                                           
                                                      山ちゃんズ、山口♂happy01でした。




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