目的で探す

有田の時間

“Find something you love to do ,

2025年03月24日

有田観光協会 at 16:38  | Comments(2)
                                                                                     

                   
                     
                       
                       
                        and you'll never have to work a day in your life.”











 本年初頭、伊万里の大川内山の窯元でつくる伊万里鍋島焼協同組合は、組合加盟の窯元制作のやきものの呼び方を「鍋島焼」で統一されたとの新聞報道がありました。これにより、伊万里焼とか伊万里鍋島焼とか様々呼ばれていた呼称を「鍋島焼」と一つにされるということで、これを知ったとき、今後とても分かりやすくなるんじゃないかと私はとても嬉しく思いました。それにより、江戸期を通じて日本磁器の最高峰として磁器が将軍等に献上、贈答されていた歴史的事実、それを継承している伊万里地域のやきものであるとのブランド価値を高めるためであることは明確ではありますが、ここ有田のやきものの歴史を語る上でも、よりスッキリとするのではないかと思ったからでした。

 長く観光案内所で有田のご案内をする中で、江戸当時、海外への唯一の運搬手段であった船により隣接した伊万里港から焼き物が出荷されたため、江戸期に有田で焼かれた焼き物がその当時「伊万里(焼)」の名で呼ばれているということをお客さまにご説明し、それが今は「古伊万里」の名で残されているんですよと繰り返しご案内してきたところでありました。今でもそうですが、国内に限らず外国の方でも、云わゆる「古伊万里(オールドイマリ)」の故郷、生産地が、その名が残るので「伊万里市」の大川内山と思われ、そちらへとお出かけになるということが少なからずあります。その両地のやきものの特質、歴史の違いをご説明するのにいつも多くの時間を割いていたので、私のご案内時間はついつい長くなっていたものでした。そういう私も、本当に恥ずかしながら、後年になって両地の焼き物の違いを知ったので偉いことは何にも云えません。ただ、知った以上は、正しくお伝えしていく必要をとても感じていたのでした。

 今後、伊万里焼が「鍋島焼」と呼称もされることで、幾らかは誤解も解消されるのではないかと期待しています。とは言いましても、やはり完全に誤解が無くなることはなかなか困難とは思いますので、逆に有田でも発信がより必要かとも思います。例えば、『古伊万里の故郷(ふるさと)、有田』。“日本磁器発祥の地、有田”に加え『日本の白磁の誕生地、有田』とか、『江戸初め世界へとび出した有田焼(世界の有田焼)』、或いは、『日本初世界のブランド、KAKIEMON』等々。

 実はこれらは、これまでの私のご案内の中で、ずっとお客様にお伝えしてきたことでもありましたが、有田焼を伊万里の「鍋島焼」と対比させるために、これに類したキャッチフレーズも、今後、より積極的に有田から発信していくことも必要じゃないかと考えます。いずれにしましても、有田焼の特質として、またお伝えすべき基本の基として、私はこのことを最もお伝えせねばならないこととして、これまで発奮して来たのではありました。
 
 
 









  案内所でのご案内に少し触れましたので、もう少しこれまでの案内所の状況を述べてみたいと思います。
私が初めて有田駅観光案内所に出たのはちょうど東日本大震災の一年後でした。そうです、そんなに前なのです。着任当時の有田駅構内には案内所の他にキヨスクがあり、長椅子等も置いてありました。震災直後でもあり、お客様も日本からが多かったように思います。しばらく後、外国からのお客さまもチラホラありましたが、ほとんどが東アジア系、つまり台湾、韓国からが多く、一方、今のように中国からはほとんど無くまれでした。震災の影響が落ちつきはじめた以降は、より以上に台湾、韓国から、そして東南アジアからもボチボチ見えるようになりました。そして、その後、例の大型クルーズ船等により、中国からの団体のお客様がピークに達した頃は、駅にもどんどん中国本土からのお客様も増加してきました。私が初めて案内所に立ったとき、実は、大して外国からのお客さまについては想定していませんでした。日本人対象の有田の観光ガイドでもありましたし、特に問題ないだろうと思っておりましたが、驚きました。想定以上に外国からのお客様があるのです。これは10年以上も前のことだったと思いますが、あるとき、こういうことがありました。駅構内に幾つか置かれていた長椅子の一つの片隅に、かすりのような着物を召した70歳を超えた位のおばさんが、背中を丸くしてちょこんと座っておられました。もう忘れましたが、気候のあいさつか何かで話しかけたかと思いますが、キョトンとされてます。どちらからですかとか、またお尋ねしたように思いますが、やはり無言。ちょっと間をおき、突然発された言葉が、「タイワン」。てっきり近所のおばさんが、ちょっとひと休みで座っていらっしゃるとばかり思っておりました。これが有田でした。
 
 
 駅構内では、最初の頃は日本でもそうであるように、外国からのお客さまはそれぞれの国の云わゆる『観光本』をお開きになり、有田のココへ行きたい・・、といった感じでお尋ねになっていました。が、コロナ期前の数年位前の頃からは、特に韓国、台湾、来客が増加していた中国等は、日本ではあまり見たことがないような、大型の『スマートフォン』、や『タブレット端末』を開いてお見せになり、有田の希望の場所をお尋ねになるようになりました。その後はスマホ等のマップ機能により、今日では、用意している紙製の”散策マップ”は不要ですと、お受け取りにならないことも随分多くなりました。本当にこの間の変化の速さには驚かされています。
 
 
 ある時期、国どうしの問題で中国や韓国からの入国が滞り、有田もその影響を大きく受けました。特にあれほど多くの来客がありました韓国から全く見えなくなったこともありました。有田焼の開祖と云われる朝鮮の「李参平」を擁した町、有田にしても同様なのでした。政治の影響力の大きさをつくづく感じたものでした。政治問題が徐々に落ち着きを見せ始め、だんだんと外客も回復した頃は、東アジア系の人に加え、西洋からの外客も次第に増加して、今日に至っては西洋の方を町内で見かけない日はないほど増加しているのが現状です。こういう数の西洋からの外客を見かけるということも過去10年間、有田ではありませんでした。
 
 
 つくづく思いますのは、たとえ国どうしが不幸にも険悪になったとしましても、過去にそれぞれの国民の中に一旦自由な往来がありましたら、きっといつかは改善されると思ったところでした。自由な往来が永遠に続くよう、政治に携わる方も方も最善を尽くして頂きたいものです。
 それにしても、コロナが全盛の頃は、国内客も含めて来客が皆無だったことはご周知のとおりです。東京オリンピック気運もあり、有田への外客も年を追うごとに増加していた矢先でしたので、そのコロナですべて振り出しに戻った感じでした。現在コロナ以前の状況にほぼ戻りつつあるようです。コロナ禍数年前に駅構内にありました「有田駅観光案内所」は、「キルンアリタ観光案内所」として、駅南の登り窯をイメージした赤い建物へ移動し現在に至っております。今後ますます国内はもとより外国からも、より多くのお客さまが有田へお見えになられることを願ってやみません。


                          
                
                     〇        〇        〇
 

 
 
 
 実は今月末をもちまして、わたくし、当案内所を退かさせて頂くことになりました。これまで、こちらの案内所にお立ち寄り頂きました皆様、観光関連の皆様、そして、同僚でながい間お世話になりました中尾さん、また、もしこの拙いブログを時おり覗いて頂きました方がおありでしたらば、ともに本当にありがとうございました。甚だ不充分なご案内やおつき合い、マイブログ等になってたのではないかと、今となっては大層心苦しく思っております。
 
 有田は本当に素晴らしい町だと思います。ともすれば地元に住んでいればそのことに気づかない、それを懸念します。でも外部からの評価はきちんとなされております。有田の町並みは『国の重要伝統的建造物群保存地区』に県で最初に指定され、有田を中心とした二町六市は国により「日本磁器のふるさと」として『日本遺産』にも認定されおります。さらに最も驚くべきは、有田の町の伝統的景観全体が、日本の「将来に残したい町」として、日本イコモス(イコモスは、世界遺産を審査する世界的機関)により、全国では20か所のみ選定された『20世紀遺産』に選ばれているという事実です。現下のやきもの産業界には様々な問題がありますが、ただそういうベースの町に立脚しているのが「わが町有田」であり「有田焼」であることを、少なくとも地元の私たちは自覚しておくことが肝要ではないかなと強く思います。
 
 有田が好きで、そして人と話しご案内するのが大好きで観光ガイドとなり、そういう意味では、この案内所でも幸せな「天職」を全うさせて頂きました。今、案内所への日々のご来客の4割位が外国からではないかなと感じられるほどです。毎月30か国以上の国々からここ有田へのご来客があっています。いかに有田の町と有田焼が、やはり世界的知名度とブランド価値を有しているか、まざまざと見せつけられておりました。そういうインバウンドの大きな変動の中で、貴重なそしてとても楽しい経験をさせて頂きましたことは、大変ありがたく幸せなことだったと心から感謝しております。あっという間の13年間でした。この場にて皆様、関係者の方々に重ねてお礼を申し述べさせて頂きたいと思います。
 
 心中に去来するのは、私の好きな冒頭、次の言葉です。それらを身に染みて感じながら、私の個人ブログは閉じさせて頂きたいと思います。永い間本当にありがとうございました。



                    

                    “ 好きなことを見つけなさい。するとあなたは一日だって働く必要がなくなるのです。”

                                
                      


                                                 


                                                        
 
                      
                                                          
                                           キルンアリタ観光案内所  山口


  

袖振り合うも、

2025年03月08日

有田観光協会 at 07:27  | Comments(0)
 
 
 
 多生の縁。

 

 という言葉がありますように、ちょっとしたことが不思議と心に残っているということは誰しもあるのかも知れません。
観光ガイドをしてますと、ほんの短い時間でも人との出会いが印象深く思い出されたりもします。

 
 
 
 私たち有田の観光ガイドもガイド研修の名のもとに、様々な窯元さんの知識を得、研鑽を積むために各窯元におじゃまし、その窯元のお話を聞くことがあります。もう10年近くにもなるのでしょうか、ある日、井上萬二窯へおじゃました事がありました。時々お客さまをご案内することがあってもなかなか人間国宝がいらっしゃる窯元で研修を受けることはそうありませんから、どんなかたちの研修を受けられるのだろうかとワクワクしておりましたら、何と萬二先生ご本人がお見えになりお話しになりました。しかもすっくとその場にお立ちになったままお話を始められました。10名ほどいたでしょうか、ガイドの仲間ももちろんその場に立ったままで様々なお話を聴きました。確かに聴いたのですが、私自身はその内容をあまり覚えていなくお恥ずかしい限りなんですが、一つには、そのときかなり緊張していて、あるいはそれが理由だったのかも知れません。
 当時でおそらく八〇歳は超えていらっしゃったはずですが、その先生のお話がおそらく一時間以上は続いたように思いますが、そのまま立ったままの姿勢で最後までお話をお続けになり、聴講する私たちもすっくと佇んだままで拝聴し続けたのでした。もちろん、それが苦痛だった等ということは一切なく、非常にありがたいことと皆一所懸命に聴いていたと思います。
 
 先生は、かつて海軍の予科練の学徒として鹿児島の鹿屋で終戦を迎えられていて、多くの先達の特攻隊員を見送られていたこともあり、毎年戦死者の慰霊を込め彼の地へお出かけになっている事等もまた地元のニュース等で知っていましたので、その時も本当にお元気でかくしゃくとしていらっしゃる、体の鍛え方が我々とは全然違うなァ等とつくづく思ったものでした。アメリカの大学や当地有田での指導のこと等、様々なことをお話になられたように思いますが、ただ、一つだけはっきり覚えていることもあります。それは、言葉についておっしゃったことですが、私たちは三つの言葉を話せた方が良いとおっしゃっていました。
それは、有田弁と標準語と、それから英語をと。さすがに国内外を越えてご指導なさっている先生らしく、とてもユニークなとらえ方に感じられ、ありがたく私の心に残っているのだろうと思いました。
 
 あの貴重な研修で私は何かを聞き漏らしていたんじゃなかろうかと、先生の著書『名陶無雑』をあらためて手に取り読んでみますと、先生が生涯をかけ「造形の美」という一つの道にいかに努力し挑戦してこられたかを知ることにもなりました。その著書の中で九州陶磁文化館の「柴田夫妻コレクション」にも触れられていて、有田の先人が時代々々に応じ精進を重ねた彼らの汗や心をくみ取り、それを原点に現代の私たちは作陶に励むことの大切さをそこで述べられています。また、伝統にも触れられ、このように述べらています。
「伝統というのは、古いものを守るということではないです。時代によって材質は変わり、感覚も変化します。ろくろの成形であれ、絵付けであれ、先人たちが今日まで成し遂げてきた正しい技法を正しく受け継ぎ、その中から現代の工芸を作り出す。それが伝統ということです。」と。
 戦後すぐ、窯元、窯業技術センター、良い師の下で長らく努力研鑽を積まれ、アメリカ他諸外国にも何度も指導者としてお渡りになり、多くの弟子を育てられたこともあらためて知り、今になりようやく萬二先生の研修の一部を補えたような、そういう気持ちに至ったのでした。

 
                                         
                                                               




 


 
 ガイドとして、人間国宝の方の思い出として、もう一つ忘れられない或る瞬間がありました。これももう10年以上も前のことだったと思いますが、有田陶磁の里プラザ(現・アリタセラ)にて、現・十五代酒井田柿右衛門氏の初お披露目作品を兼ねた十四代柿右衛門氏の作品展示(云わゆる、親子展)が催されたことがありました。人間国宝・十四代酒井田柿右衛門氏がご健在のときです。ご縁があり観光ガイドであった私はガイドのユニホームを身につけ、窓口受付をさせて頂いておりました。受付周辺にはお祝いの花が飾られ、それと、野球の王貞治氏からのお祝いのメッセージと王氏と十四代柿右衛門氏とのツーショットの写真等も展示されておりました。
 
 ひととおり多くの方々が展示をご覧になられた後、おそらくお帰りの折だったかと思いますが、十四代が受付の方へおいでになられました。ふと、王氏との写真を見つめられ、おひとり言とも、私に伝えるふうとも思えるように、こう有田弁でおっしゃいました。「こん人と私は、同じ病気やもんね~」。それから一瞬間をおき、私の方にきっちりお向きになり、「いえ、ご苦労さまです。あなたたちが頑張っておられるからいいんです。どうもご苦労さまです。」と頭を下げられ、出口の方へ向かわれました。私は一瞬、えっ、何をと思いましたが、すぐ悟りました。身につけていた黄色いユニホームで私を観光ガイドと認識なさり、それを見て頑張っていると思われたんじゃないか、それに対するお礼だったんだと思いました。飾らない素朴な人柄とその後の謙虚な姿に、私は一瞬にして、人間十四代柿右衛門のファンとなりました。更には、最後の柿右衛門氏の言葉は、私たちガイドに対する熱いエールとも感じました。
 
 同じく、十四代の著書に、『遺言・愛しき有田へ』というのがあります。この中で、有田について述べられたくだりがあります。以下簡略で記してみます。
 「有田では、窯元は商人さんのおっしゃる通りに作ればよかったという、そういう時代が今日までつづきました。生産地は作ることはできるんですが、売り方がわからない、お客さんに対して商品の歴史なり技術なり原材料なりについての説明もしない。ですから、お客さんはそういう知識もないまま品物を選んでしまう。「有田焼です」といって売る。有田らしさのないものでもブランドの力だけで売れてしまう。私たち有田の人間はお客さんに大事なものを届けてないんです。宝の山をわれわれはもっておるわけです。いまのままではお客さんに不親切みたいな感じがします。有田は名前だけじゃないぞ、というところをお客さんや世の中にもっともっと見せにゃいかんのですよ。」
 私もまた、ガイドの一人として、一人の有田の人間として、その責任の一端を担う必要を重く感じているところです。












(山)





   

有田~伊万里~松浦を走る 『レトロン号』。古伊万里道から伊万里湾沿線をガイド食事付きの旅。

2025年02月26日

有田観光協会 at 16:22  | Comments(0)










 
 
 約400年前に有田で誕生した日本初の陶石から生まれた磁器。彩色の発明を経てその美しい器は隣の伊万里の港から積み出されたために、「伊万里」の名で東南アジア、そしてヨーロッパまで運ばれました。それらは現在、「古伊万里」の名で呼ばれていますが、それが運ばれたスタート地点やそれが運ばれていた沿線を列車に乗って楽しんでいただきます。
 さらに、伊万里から松浦にかけてのコースは、伊万里湾に面して続く風光明媚な旅。昼食の後のデザートもフルーツの里の食材を使ったケーキ等をお楽しみ頂きながらの、のんびりの旅です。本年は3月22日(土)と3月26日(水)に実施されます。ふるってご参加くださいませ。

   

     ・出発地 :キルンアリタ観光案内所(集合時間10:00)    ・解散場所:有田駅(解散時間14:28)

     
      詳細はコチラをご確認ください。







                                                    (山)  

NEW 『窯ガチャカバー』、お目見え!! ― キルンアリタ観光案内所 ― 有工制作、県文化課を経てご寄贈!!。

2025年02月26日

有田観光協会 at 13:21  | Comments(0)
















 


 昨日、有田駅前、当キルンアリタ内にて、有田工業高校のセラミック科の生徒さんたちにより制作されました『窯ガチャのカバー』の贈呈式がありました。これは、県文化課と「肥前やきもの圏」とのコラボ企画にて制作されたものでした。

 とっても爽やかなカバーで素晴らしく、一目でどんなやきものが販売されてるかも分かり、つい買ってみたくなるような素敵なものです。
 早速、本日第一号の購入者の方もあり、お聞きしますと地元の方でした。その後も神奈川からもお二人何個もご購入されましたョ。
 これはとっても幸先よろしいようです!!。誠にありがとうございました!!。



                                                                           

                                                         (山)
  

第21回『有田雛のやきものまつり』、【有田周遊ひいなバス】をご利用のお客様へ。

2025年02月16日

有田観光協会 at 14:41  | Comments(0)











 
 
 列車等でお見えの方で、短時間にメインコースを廻ってみたいなどとお思いの方々は、まつり期間中の土曜、日曜、祝日限定ですが、有田駅前より午前午後にメイン会場2か所を廻る、



 
      「 ガイド付き、有田周遊ひいなバス(無料)」

 

 
 がとっても便利です。限られたお時間をのんびら~とお過ごしになりませんか。もちろん、2か所ではガイドの案内を離れ、自由に自分たちでお過ごしになることも出来ます。
 どうぞご利用くださいませ。















(山)





  

キルンアリタ観光案内所にて、『こどもデザインアート展』、只今開催中!!

2025年02月01日

有田観光協会 at 10:42  | Comments(0)





 

  本日9時20分~12時まで、有田町、あかさかルンビニー園のふじ組生徒さんによる、『こどもデザインアート展』がキルンアリタ観光案内所にて開催中です!!。雨にもかかわらず、とっともたくさんのお客さまで賑わっていますョ。
  小学校に入る前の生徒たちの作品をご覧になられませんか?作品はこどもたちにより、販売もされています。とっても可愛いですよ~~
















(山)






  

『 有田雛のやきものまつり 』、来週から。のんびら~と、「ガイド付き、無料シャトルバス」もあり!!。

2025年01月30日

有田観光協会 at 16:14  | Comments(0)
 
 
 
 ここ数日間は寒い日々が続いています、ここ有田、キルンアリタ観光案内所です。
季節的にはまだまだ寒い時期、朝晩の寒さはかなり厳しいものがあります。
幸い雪は今のところそれほどではありませんが、来週からも寒波が予想されています。








[こちらは、1月10日の画像]



 
 とはいいましても、必ずはやって来ます。そして、有田早春の最大イベント、『 第21回 有田雛のやきものまつり 』も間もなくです。会期は本年2月8日(土)~3月9日(日)までです。
 本年も様々な催しが予定されていて、来有のお客さまをお待ちしております。
 列車でお見えの方で、短時間にメインコースを廻ってみたいなどとお思いの方々は、有田駅前より午前午後にメイン会場2か所を廻る、

「ガイド付き、有田周遊ひいなバス(無料)」

 がとっても便利です。限られたお時間をのんびら~とお過ごしになりませんか。もちろん、2か所ではご自由に自分たちでお過ごしになることも出来ます。
 どうぞご利用くださいませ。










                                                                       
                                                                   (山)

  

Viva!! 有田焼 ⑤

2025年01月10日

有田観光協会 at 14:53  | Comments(0)
 
  

 第8代将軍徳川吉宗による『享保の改革』は、予想以上に有田の赤絵町の絵付けにも影響を与えたと推測する。改革の主眼は、幕府の財政立て直しのための質素倹約の実施だった。藩窯の伊万里大川内山で例年献上として焼成されていた云わゆる「鍋島」は、赤絵町での色絵付により、後世「色鍋島」と呼ばれる色絵磁器の最高峰として知られているが、この最も上質の盛期鍋島は、云わゆる、"色絵は贅沢品"とみなされ、その後、染付と青磁の作品に限られてくるようになる。延宝から元禄、ぎりぎり改革が出された1722年(享保7年)迄頃が盛期といえるだろうか。そしてそれは、民間の商品にもその影響が見て取れるように思われる。
 
 次の民間商品等は、色絵ではあるが、色を少なく抑えた感がある同時期の商品と推測される。まァ、とは云っても、その後の田沼時代に至ってからはそれほどの影響は感じられないようにも思われ、新たな薄緑色などの色彩もその後には使用されている。すなわち、民間が求める色絵商品は常に生産されているようだ。その後は、19世紀に入り、瀬戸などの地域でも磁器が焼成されるようになると、販売競争の影響で大量生産も加わり、相対的にやや質の低下を見るようにも思えるが、それは時の流れに応じて有田の焼物が変化していった証しでもあり、興味深い。

  
 


[享保期頃/18c初]


 



 [寛政期頃/18c後]



 
 幕府への献上品、有力大名などへの贈答品としての鍋島作品だけは幕府終焉まで多色が避けられていて、画像のように若干赤絵が加わるだけのようである。


 


  [以降、江戸末期鍋島]







 
 
 それにしても、さきの享保の質素倹約奨励がもし施行されてなかったら、どうだったろうかと考えることがある。或いは、現存している以上の素晴らしい色鍋島を目に出来たかも知れない。それを思うと、幕末までの百数十年間の制約、制限が残念にも思えてくる。が、それも歴史の流れから如何ともし難いのは自明のことである。
 
 それでは、もし残された「鍋島」の中から、染付、色絵、それぞれ一点を選ぶとしたら皆さんは何を選ばれるだろうか?。
私は染付では次の九陶所蔵の『染付鷺文三足付皿』を挙げたい。ムラのないそのダミとデザインセンス、抜群以外何ものでもない。また、色絵からはMOA美術館所蔵の『色絵桃文皿 尺皿』を選ぶ。それを初めて目にしたときフトもらした自らのため息を私は生涯忘れない。いったいどうやってあの桃の表面の質感を出せたのか、本当に’感動’の一言だった。双方とも国の重要文化財として認定されているが、これら二点とも個人的には将来、ぜひ「国宝」へ認定頂きたい作品である。まだ肥前のやきものには国宝がない。<国宝希望2.3>








 魅力ある有田焼について、江戸期を中心にざっくり見てきたが、染付から色絵が始まり、時代々の求めに応じ、かたちを変えながら400年間続いて来たのが有田焼である。ライフスタイルに適した様々な有田焼が現在産み出されている。今後、益々変化に富む磁器にきっと出会えるに違いない。大いなる期待をもって見守って行きたいものである。(終)





                                                    (山)








  

新年、明けましておめでとうございます!!

2025年01月03日

有田観光協会 at 13:15  | Comments(0)
 

 
 


 

 
 毎日同じ日の出ではありますが、元日のそれはいつもとは違う、そんな心地がただよう今年の「初日の出」でありました。
朝霜の寒さを吹き払った後の太陽は明るく、空を見上げれば心なしかその青空の青がより美しさを増しているような、そんな感じすら思えた爽やかな朝でもありました。
 


  新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。



 昨年にはコロナ禍がほぼ終焉し、日本全体が落ち着きを取り戻し、こちら有田駅前のキルンアリタ観光案内所にも本当に多くのお客さまにお見え頂きました。特に多くの外国からのお客さまの増加は、いかに有田が国際的に重要な町かをあらためて思いを強く印象付けさせられました。本当に嬉しいことでした!!。『日本磁器のふるさと、発祥地』、有田。後世に残したい町として認定された『20世紀遺産の町』、有田。そして、江戸前期、今から360年以上前より、出荷港の「伊万里」の名で、日本はもとより、東南アジア、ヨーロッパへまでやきものの販路を拡大し、ほぼ100年間出荷していた『世界の有田』。
 本年も多くのお客さまがこちらへお見えになることを切に願いながら有田駅前にてお迎えしようと思います。
 本年も昨年同様、どうぞよろしくお願い致します。



                       

                                                 
                                         キルンアリタ観光案内所  中尾・山口


                                                                                                        

ザ・有田、マグカップ !!

2024年12月22日

有田観光協会 at 15:04  | Comments(0)










 
 
 そう、そう、これぞ有田のマグカップ!!
 ざっくり、ブランコに乗ったような、はしごのサンタさん!。
 神社の鳥居をくぐる、ハウステンボス号の特急!!。


          アリタ・マシュマロ・クリスマスにて、2024.12.22まで販売。
          アリタ・マシュマロ・クリスマス、本日迄。賑わい中、午後8時前には花火も。



















(山)







  

Viva!! 有田焼 ④

2024年12月03日

有田観光協会 at 13:55  | Comments(0)






      [延宝期に至る前の、寛文期頃か]

 

 
 
 
 
 1670年代の延宝時代になって有田焼は完成すると云われる。技術、そして焼物自体が最上点に達したということで、目標とした景徳鎮の域、そしてプラス日本的余白を活かした表現の美とでもいう段階に達したとも云えるのだろうか。
より白い生地に美しい呉須や色絵で装飾した美を有したものが残されているようだ。確かに、この時期の焼物には、日本的な美ともいうべき美しさを感じるものがある。九陶では、以前、”江戸期を通して最も優美なやきもの“が焼かれていたと形容されていたが、充分納得がいくように思われる。別名『盛期伊万里』と呼ばれたりもしていたようだ。





 
 




            [延宝期頃]







                                             (山)

























   

  



                                                    





  

今泉今右衛門 『染付 原点の色』展、& 『十四代 今泉今右衛門展』 ~ その魅力 !! ~

2024年11月18日

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 今右衛門古陶磁美術館で、令和6年度企画展、『染付 原点の色』展を観た時、最初に目にした作品にしばらく釘付けになった。今回の展示では、幾つかの初展示作品を観ることが出来たが、確かにその作品も染付の初見の鍋島の皿だった。美術館が開館した1997年来の初見でかつて図録でも観たことがないように思った。その形状は八角形。「染付唐花文八角皿」とあり、小さいながらも見事な造形で唐花文が精緻に描かれていた。染付の精緻さもさることながら、その染付の美しさが極まっていて、それは皿の裏面もまた素晴らしかった。今回のテーマである、「染付の美」をまさに集約したような美しさをそこに感じ、まさに第一歩の場所にふさわしい作品と感じた。
 染付といっても、呉須の濃淡により様々な色を感じることが出来るように思う。釉薬に呉須を溶かした瑠璃釉にしても、通常の瑠璃色から薄い薄瑠璃とあり、同じブルーでも様々である。14代今右衛門氏の技法の代表とも云える墨弾き技法は、染付の呉須が遺憾なく発揮された見事な技術であるが、江戸期、かつて青海波、七宝繋ぎ文等にも使われていたが、その美しいブルーがあっての美しさでもあり、色絵とは違った落ち着いた魅力を持つものである。人によっては、色絵皿よりも、ブルー一色の「染付」が好きだという人もいてもおかしくない。
 今回の展示でひさし振りに拝見して、懐かしく思った作品があった。かつて13代今右衛門氏がその不思議な魅力を語っておられた、「染付桜文三脚付皿」である。これは初期鍋島に属していたかと思うが、大きな一尺皿である。桜の花は伝統的な鍋島の花びらが丁寧に描かれているが、幹の下部周辺はラフに描かれ、背景は見事な薄瑠璃で全体を覆っている。13代は、硬軟揃ったところに魅力を見出されていたように感じていたので、それを思い出した。確か、二十数年前、「パリ展」の帰国記念展で福岡三越にも展示されていた。
 鍋島染付の大皿(尺皿)については、今回9点ほど一斉に展示してあり壮観だった。有田焼の原点、染付を知る上でもとても良いと感じた。


                           『染付 原点の色』展 令和6年10月11日(金)~12月22日(日)
                                      有田町赤絵町 今右衛門古陶磁美術館にて。

                           十四代今右衛門氏による、今後のショートギャラリートーク予定
                               11月30日(土)、12月14日(土)いずれも14時~14時20分





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 今右衛門さんでは、先々週だったか、福岡三越で人間国宝認定十周年記念、『十四代 今泉今右衛門展』を観た。なかなか地元でも氏の作品の全貌を拝見することは困難なので、これはいい機会だと感じ、すぐ出かけた。
 想像以上の素晴らしい作品類の展示で、百数十点をつぶさに鑑賞していったが、終始そのデザインの多彩さ、美しさに圧倒され続けた。先代の十三代の作品も素晴らしいと感じていたが、吹墨、薄墨、墨はじき、プラチナ彩、雪花墨はじき等、大きく変化発展されている十四代の表現の魅力には本当に驚かされる。明らかに鍋島の伝統を見据え、それに現代的な魅力を常にプラスし、その魅力を大きく広げておられるとあらためて感じたところだった。「地元だから、常にご覧いただけるとは限りませんもんね。」と温かくお迎え頂き、とても嬉しく思った。おっしゃってたのは本当にそうだなと感じた。やはり一見は如かずだったと思った。日本磁器の発祥の地有田で、間違いなく、日本で現在色絵磁器技術の最前線を走っておられる一人であるのは疑う余地はないと、さらにあらためて感じたところだった。終始興奮して帰宅したのは云うまでもない。




                                                                
                                                     (山)
  

『青木龍山・清高作品展』 ~ 天目と青磁、有田でつき詰められた作品類 ~

2024年11月13日

有田観光協会 at 14:12  | Comments(0)








 
 先日、有田陶磁美術館2階で開催の『青木龍山・清高作品展』を観ました。黒の龍山と云われた龍山氏の天目の作品と、その子、清高氏の青磁。圧倒的な造形のパワーで迫る両氏の作品に触れ、白磁とは異なる色彩の力強さを改めて感じることとなりました
 龍山氏はかつて画家を目指しておられたと聞いていて、幾つかの残されたスケッチを拝見したことがありましたが、今回の展示を拝見して、最初より天目を中心に製作されていたのではなかったようです。徐々に独特の天目の豪快な作品へと集結されたように感じました。
 一方清高氏は父龍山氏とは異なる青磁の世界をつき詰めておられたようです。恥ずかしながら、これまで両氏の作品の変遷等を意識的に観たことがなかったので、今回よく分かり、清高氏の青磁の壺の造形の見事さもあらためて認識した次第でした。知人の一人も清高氏の青磁のその迫力を凄かったと言っていました。
 それぞれの窯元で拝見することはありますが、地元の作家の作品をまとめて地元で観ることはなかなかなく、この度の貴重な作品類の寄贈展の展示は非常に有意義だと思いました。あらためて両氏の技術力の凄さを感じたところで、町民の一人としてしっかりと認識しておくべきことだと感じました。【~12月1日(日)迄】










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Viva!! 有田焼 ③

2024年10月31日

有田観光協会 at 15:48  | Comments(0)
 
 素焼きをせずに焼かれていた初期伊万里を経て、絵付けに一部素焼きを経て絵付けされるようになる1650年代以降頃になると、器体はより薄くなり、絵も繊細、丁寧な絵付けがなされるようになるようだ。
 以下の画像はそれらの一部であるが、江戸、寛文期頃(1660年代)の作品と思われる。

 
 
 
 

 
 初代柿右衛門により日本の色絵(赤絵)が始められたと云われる、1647年以降、様々な色絵の商品が作られるが、なかなかデザインと絵のバランスがユニークだ。

 
 




 
 
 色絵が付く前の、ブルー&ホワイトを、日本では「染付」と呼んでいるが、これらに絵付けされたものを、「初期色絵」、又は「古九谷様式」と呼んでいる。云わゆる、色絵商品が完成される前の、つまり、完成期といわれる「柿右衛門様式」や「鍋島様式」に至る前の、プリミティブな中にもデザインの秀逸さが漂う時期の作品類といえる。
 私は焼物を一切しないし、焼き上げることも出来ない。ただ、江戸期の九陶所蔵の作品類を目にするにつけ感じるのは、この完成前の作品類の、デザインの多様さ、秀逸さには圧倒されることがよくある。確立された身分制度の中で、焼物を作り上げた当時の有田の職人は、そういう時代の中でも、自由な表現を謳歌していたようにも感じられ、残されたものを見るにつけ、尊敬の念すら感じるのである。個人的に思うことは、現在、有田で焼物のデザインを学ぶ方たちは、この時期(寛文期、1660年代)の作品のデザインにぜひ触れ、それらの素晴らしさを感じ取られたらいいのじゃないかということである。

 もう20年以上前にもなるかと思うが、九陶の『柴田夫妻コレクション』のご主人である柴田さんの講演を九陶で聞いたことがある。「寄贈展」の折りかとも思う。そのときおっしゃっていたことをよく思い出す。それは、焼物の制作にかかわる方は、ぜひ(自分たちが寄贈した)これらの江戸期の作品を自由に手に取り、ご覧になってくださいとの言葉であった。そこから何かを学んでください、とのことだったように思う。
 少し前、現九陶の館長の鈴田氏へこのことをお尋ねしたところ、手続きを取っていただいたら、本当にぜひ自由にご覧くださいとおっしゃっていた。’故きを温ねて新しきを知る’ の言葉もあり、焼物業に携わる方は、ぜひお申し出なさったらいかがかナと思う。






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Viva!! 有田焼 ➁

2024年09月30日

有田観光協会 at 16:45  | Comments(0)
 
 
 
 ご周知のように、有田焼は江戸期の始め1610年代に、有田の西部地区周辺で産声をあげたと云われる。それらの窯は元々陶器を焼いていた窯であり、同じ窯で磁器が焼き始められたようだ。九州陶磁文化館(以後、「九陶」と略)で観ることが出来るように、原明古窯で、陶器と磁器が溶着した陶片が発見されたことでそれが裏付けもされている。






 初期の有田焼は、その技術を伝えた朝鮮陶工の影響を受け、唐津焼風の形状を有していたり、重ね焼きで胎土目積みから砂目積みへと変化したりして制作されていた。
何といっても、この最初期の有田焼の小皿などは、砂目積み跡の汚れ等は気にするまでもなく、貴重な白い磁器が焼けた喜びの中で作られていたに違いない。そういった思いが伝わってくる。


 

 
 
 中国の磁器様を目標にしていた初期の有田焼は、呉須を使った染付製品を生み出し多用していったが、まだ素焼きはせず釉薬を生がけし作られた。形状はちょっと分厚く高台は小さく、トロッとして素朴な、 ‘味のある’有田焼が産み出された。云わゆる、“初期伊万里”の誕生である。‘初期有田’でなく、“初期伊万里”と呼ぶのは、江戸期に有田で作られた焼物が、地理的に近い伊万里港から船で出荷販売されたため、その出荷港の名を取り伊万里(焼)と呼ばれていたことによる。そして、質的には、李参平により、1630年代前後に泉山磁石場で良質な陶石が発見されるや、その地肌の白は、より輝きを増してきたと思われる。

 
 有田では、中国の景徳鎮の磁器を目標としていたためか、染付磁器を当初より制作していたが、本当に驚くべきことは、初期にもかかわらず、その装飾の多様さにある。染付はもとより、白磁、辰砂、青磁、瑠璃、鉄釉と、それぞれの技法での磁器が焼かれ残されている。本当にびっくりしてしまう。
 けれども、そのなかでも、染付の大皿類はこの時期の代表的な傑作類に入るのではないかと私は思っている。1630年から1640年代に、有田黒牟田の山辺田窯跡等で焼かれたと云われる染付大皿、特に山水が描かれたものなどは、口径40数㎝のもあり、迫力満点で本当に素晴らしい。もちろん、日本最初期の染付磁器であり、これらは当時の権力者であった有力大名等の宴席での使用等にも供されたとも云われるが、圧倒的迫力で迫ってくる。

 
 今からちょうど20年前になるが、九陶で『初期伊万里展』があった。それを観に行ったとき、私は目の前の「染付山水文大鉢」と書かれた大皿の前で、しばらく動けなくなった。その圧倒的迫力の前に我を忘れていた。濃厚な呉須をたっぷり使い、自由奔放な筆さばきで山水を描いた大皿は、本当に見事なものだった。大和文華館蔵、国の【重要文化財】とあった。1630~1640年代、有田町山辺田窯で作られた旨、図録に記載があった。遠近感は関係なく、堂々とした山水を思う存分描き上げ、まさにプリミティブな力強さにあふれんばかりである。個人的にはこの大皿は、将来、ぜひ「国宝」へ認定頂きたい作品である。<国宝希望>(画像に著作権がありますので、大和文華館HPにてご確認ください。)



 
[現在展示中の同類大皿。九陶の瀬川竹生氏コレクション展より]





                                                    
                                                     (山)
  

歓迎!!  SAGA2024 国スポ・全障スポ、有田会場!!。

2024年09月29日

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 ハイ、こちら有田駅前のキルンアリタ観光案内所からです。
ご覧のように、駅前にも横断幕が掲げられています。
「国体」から「国スポ」と名を変えその第一回、こちら有田の会場でも歓迎ムードが盛り上がっています。


 駅と駅構内でも全国からのお客さまをお迎えする準備は万端のようです。







 
 昨年までは、国体といってちょうど一年前、鹿児島県内で盛り上がっていました。
一方、前回の佐賀の国体は、昭和51年のこと。当時、職場を抜け出し、県立体育館だったか、バレーを観に館内に潜り込んだ記憶があります。あの時、果たして今回のように入場制限があったのか・・、それすら忘却の彼方なんですが、懐かしく思い出します。
 
 こちらの案内所でも、県外の方々が電車で応援のため乗り継ぎで立ち寄られたりしています。だんだん盛り上がって来ています。 有田会場では、以下のように実施予定されているようです。お越しの方々をぜひ歓待したいと思います。



 10月 6日~10月10日   ウエイトリフティング   
 10月11日~10月12日   軟式野球(他に5会場にて実施)



 





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Viva!! 有田焼 ①

2024年08月31日

有田観光協会 at 15:27  | Comments(0)
 
 
 
 

 




 
 今から54年前の1970年(昭和45年)秋、香蘭社の深川正氏をはじめ、有田の焼物関係者7名は、当時まだ国交がなかった東ドイツへ旅立った。云わゆる、有田の「七人のサムライ」である。
 ドイツのマイセンは知られていたが、日本に馴染みがないドレスデンの美術館に、4千点に近い大量の有田古陶磁が眠っていると聞きつけた深川氏は並々ならぬ情熱を傾け、ついに彼の地への旅を取り付けたのである(『古伊万里の美とロマン』深川正著)。そしてそのサムライたちは、ぼう大な良質の古伊万里のコレクションをそこで確認した。
 その数年後、これらのコレクションは、「ドレスデン古伊万里名品里帰り展」として、東京、京都、名古屋、佐賀にて一般の人々も目にすることとなり、一大古伊万里ブームを巻き起こした。それ以降有田とドイツとの交流は続き、後年、マイセンとの姉妹都市提携、九州陶磁文化館の開館等へと結実した。有田焼は、単に一地方の焼物ではなく、300年前より世界と繋がっていたことがあらためてその時証明されたのである。また、日本磁器の影響を受けながら、有田焼創業約100年後に、ドイツのマイセンでヨーロッパ初の磁器の誕生を見ることとなる。
 有田は日本の磁器のふるさとであると同時に、ヨーロッパの磁器のふるさとでもあったわけで、古伊万里の故郷でもあると同時に世界の有田焼の産地でもあった。様々な思いを抱きながら、あらためて九陶のコレクション類を見てみれば、有田焼の懐の深さに驚かされる。

 古いものには古い魅力が、そして新しいものには新しい魅力があるのが有田焼。なかなか、かつてのような古伊万里ブームが起きるのは容易ではあるまいが、それでも新たな魅力に気づいた人たちの大きなウエーヴが再び来ないかナと思ったりする。
 フト、自分が思う魅力ある有田焼について、若干述べてみたくなった。
まったくの私見であり甚だ恐縮ではありますが、マイブログでもあり、それをご容赦願いながら・・・。
 ということで、次回より不定期になるかと思いますが、江戸期を中心とした時代毎の魅力の有田焼について少しずつ・・。




                                                               (山)

   

わが町のお宝を知る、"小学生夏休み恒例企画"、『有田の歴史の川ざらい』へ参加!!。

2024年08月02日

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 1610年代から始まった有田焼。既に400年を超え、8年前に有田焼創業400年をお祝いしたのはご周知のとおりです。400年以上もの間焼き続けられて来た有田焼は、そのまま、町内のあちこちでその焼き損じや割れたりした陶片類を見る事が出来ますが、特に川の中では物理的な刺激から守られて、そのまま当時のままで残っていることがあります。現在残されたこれらの陶片類は貴重な文化財として法律で保護されていて、勝手に探し出したり、持ち出したりは出来ません。厳しい管理下に置かれています。
 
 
 そこで、有田町主催のこの企画は、町内の小学生を対象に、もちろん勝手に持ち出しは出来ませんが、川の中の陶片類を自由に探し出してもらおうとの、夏休み限定の恒例の催しなのです。’れきみん応援団’という組織に入っていて、ボランティアでお手伝いをしている私たち団員も、小学生が自由に探すのを支えます。長い歴史をかいくぐってきた古い焼きものたちとの出会いをワクワクしている小学生が目に見えるようです。
 が、実は大人の私たちも実はワクワクなんです。どんな貴重なものを子供たちが探してくるか・・、また、学芸員の先生が、それらを、江戸初期、中期、後期などに見事に即座に選り分けられるのを間近に見るだけでも楽しいし面白い!!、というわけです。

 
 本年は昨日8月1日に実施され、私も参加させて頂きました。コロナで一時中止の時期もありましたが、何と云いましても、目下の闘いは炎天下の暑さとの闘いです。短い時間帯に充分な水分を補給しながら行う必要がありました。
 身近な自然の中に、奥深い歴史を学ぶ環境がこの町にはある。他の地域にはなかなかない素晴らしい町だナと、今年も改めてまた思いました。
 集まりました陶片は時代毎に整理され、例年、取得者の名前と共に歴史民俗資料館に展示されています。




 
 
  [子どもを見守るお母さんたち?]





  (山)



 

   

 大快挙!! 有田工業高校、三度目の甲子園出場へエールを送る!!。

2024年07月25日

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                  [昨日の号外紙の一部より]


 
 

 
 遂にやりました!!。我が有田の有工が、二年ぶりに甲子園へもどって来ました。
もどって来ました、はちょっとおかしいですね。二年ぶりに甲子園へ出発します。再び全国へ打って出ます!!。

 
 思えば今から11年前、野球部は創部114年目で念願の甲子園出場を果たしました。当時当地では大変なニュースとなりましたが、それから9年後の一昨年、何と二度目の同出場を果たし、変わりなきチームの力の存在を見せつけました。そして、更にはそれから二年目にして、またまた三度目の甲子園出場を実現したわけです。いかにチームに、自力が、実力が備わって来たかを如実に物語っているようです。もちろん、その間の、選手や監督、関係者のご努力は言葉で尽くせぬものがあったに違いありません。でも、この快挙はまた、私たち有田人に希望と誇りをきっと伝えてくれる、必ずやそうなってくれるに相違ありません。

 
 有工野球部の更なる発展を心から願い、精一杯のエールをここに送りたいと思います!!。




                                                       
                                                      (山)
   

佐賀県有田等がロケ地の映画  -あこがれの色彩- ただ今全国ロード中。舞台挨拶も。

2024年06月30日

有田観光協会 at 11:57  | Comments(0)
 
 
 

 

 

 
 三年ほど前に有田とその周辺がロケ地となり撮影され、一昨年ココ有田でも先行試写会がされていた映画、『あこがれの色彩』が、
現在全国ロードショーされている。当時仕事で観れなかったので先ごろ映画館で観た。
 色彩の美に魅せられた主人公は描きたいものを描こうとするが、伝統産業の中で苦悩しながら描く大人との間に微妙なずれが生じ、
複雑な家庭環境等も絡んで主人公の少女は遂に暴走する。
 監督は資生堂等のCMディレクター等を長年手掛けた”女性美の魔術師”とも称せられているという地元武雄市出身の人とのこと。
主演を演じた俳優は中島セナ。ポカリスエットのCM等で注目されている。
 
 全体に非常に暗い感覚でストーリは進むが、目は一瞬も離せない。
宮崎あおいの若い頃の『害虫』という映画を思い出した。そちらは得たいの知れない不安定さに若さが翻弄され続けるが、『あこがれ~』は、家族等のなかでまだ暴走の理由がある程度明確である。
 映画には娯楽的な心を愉快にするものもあるが、心の内面に鋭く移入し観る者も格闘すべきものがあるが、こちらはもちろん後者である。
 個人的にはいい映画だったと思う。皆さまはいかがでしょうか。主演の中島セナの静寂を宿した集中した演技はすばらしいと思った。やはり宮崎を想起した。また、既知の地元の映像が出て来るのは嬉しいものである。

 本日午後より、佐賀市の「シアター・シネマ」で映画の上映と主演者、監督等の舞台挨拶があるようである。詳細はコチラ
  なお、同映画館で、7月4日(木)迄上映中。




                                       





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